波の伊八・初代
戻る フォトファイル多くて重いですが内容も豊富です
サーバーのリンク不調のため、更新は
フレームページ初代伊八郎以下で行っています
[二〜五代の伊八] [伊八系] [初代寺院彫刻]
His nickname is WAVE.IHACHI a sculptor. He is good at Wave and Dragons.
The best a wave sculpture in Japan is Ihachi
There are sculpture in (Shinto)shrines and
(Buddhist)temples.
Ihachi was born in Chiba(Kamogawa-city) on
(1751-1824)year of the Edo piriod.
[(2-5)number and the other sculepors] is here click. 壁紙は波に燕
[江戸年表01] 天正・文禄・慶長・元和・寛永・正保・慶安・承応・明暦・万治・寛文
[江戸年表02] 寛文・延宝・天和・貞亨・元禄・宝永・正徳・享保・元文
[江戸年表03] 元文・寛保・延享・寛延・宝暦・明和・安永・天明・寛政・享和・文化
[江戸年表04] 文化・文政・天保・弘化・嘉永・安政・万延・文久・慶応
[島村家・武志家の系譜]04.06.11
| 西暦 | 改元の月日 | 伊八の年齢 |
| 宝暦元年(1751)〜十三年 | 10.27 〜1764 | 0〜13歳 |
| 明和元年(1764)〜八年 | 06.02 〜1772 | 13〜21歳 |
| 安永元年(1772)〜九年 | 11.16 〜1781 | 21〜30歳 |
| 天明元年(1781)〜八年 | 04.02 〜1789 | 30〜38歳 |
| 寛政元年(1789)〜十二年 | 01.25 〜1801 | 38〜49歳 |
| 享和元年(1801)〜三年 | 02.05 〜1804 | 49〜52歳 |
| 文化元年(1804)〜十四年 | 12.11 〜1818 | 52〜67歳 |
| 文政元年(1818)〜(七年)〜十二年 | 04.22 〜1830 | 67〜73歳 |
| 天保元年(1830)〜十四年 | 12.10 〜1844.12.02(弘化元年) | 文政七年(1824)73歳死去 法名:徳隻良忍居士 |
吉保八幡神社・本殿拝見03.09.28
初代 武志 伊八郎信由 宝暦元年(1751)〜文政七年(1824) 七十三歳
| 葛飾北斎の画風に影響を与えた武志伊八郎 西浦賀「吉井町」に浄土宗・真福寺がある。 ここの本堂は南北朝に創建され、 庫裏欄間彫刻に「黄石公張良の物語」裏に武志伊八郎信由の銘が有り、 信由銘の彫刻作品が残されている。 この真福寺は北斎ゆかりの寺でその出自と目される倉田家の菩提寺である。 では、北斎と伊八は面識があったのだろうか? 北斎が浦賀で隠居していた時代、伊八はすでにこの世にはなく 二人は面識があったというハナシは作り話である。 「黄石公張良の物語」の下絵を北斎が描いたというハナシもその後苦肉の策"眉唾モノ"で ナニの証拠もありません。 七海敦子著の「波の伊八」は小説です。 彫刻年代は合っていますが登場人物は物語ですから鵜呑みにしないよう注意しましょう。 |
| 葛飾北斎・波の画風の変化 行元寺・ 称念寺 参照。 |
| 北斎の波図変遷 * |
||
| [初期の波図] | [賀奈川沖本杢之図] | [江島春望寛政九年(1796)] |
| [(かじかざわ)] | [天保(1830〜44)] | [富獄百景01] |
| [富獄百景02] | 瀧図01 [天保四年(1833)] |
[瀧図02] 三島神社参照 |
| 『波の伊八』 房州の鴨川市下打墨の出身、江戸時代「波を彫らせたら日本一、 右に出るもの無し」といわれ、 葛飾北斎の富岳三十六景、神奈川沖之浪裏の構図に使用された。 といわれるほどの名人で五代まで続いた。 特に初代は当時から一流として知られていた。 武志家は「江戸彫工の祖」といわれる、 左甚五郎を祖とする嶋村家の弟子筋であったということが最近判明している。 嶋村家初代俊元・二代圓鉄・三代俊実門人、嶋村丈右衛門貞亮の門人である。 [『彫工左氏後藤世系図』] |
| 神社、仏閣の欄間彫刻師で南房総に傑作が点在している。 作風は「龍と波」が多く、立体感のある透かし彫りを得意としている。 特に、波に特徴が有り殆どの作品に描かれている。 また、構図が斬新で欄間の中に納まらずに 殆どの龍は欄間からはみ出ている独特の個性である。 |
| 初代初期の作品は、古典的な構図で彩色されたものが多く、品よく仕上がっている。 以後の代、弟子の作品は龍と波が多いが、 代々、波の作風はよく似ているので一見して判断できるほど特徴がある。 波・竜の作風は確かに似ているが、 各代それぞれの特徴もあり力量は相当なものです。 とくに、龍の迫力は相当なもので前に立っていると圧倒されてしまうものもある。 初代伊八の作品は当時としては斬新であったと思われます。 |
| 名工 波の伊八について |
| 鴨川市打墨を本拠地として、 五代約二百年にわたり代々「伊八」と称して、 彫物師を業とした武志家は、 千葉県を始め東京都や神奈川県など南関東を中心に数々の名作を残している。 初代伊八は宝暦元年(1751)万右衛門の子として生まれ、 同家では五代目となっている。 幼少の頃より器用な子として知られ、 彫工の業を左甚五郎の流れを汲む島村流の島村丈右門貞亮の弟子 として修めたとして、彫工世系図に記されている。 伊八は二十一才の時にすでに作を残し、二十六才までは作銘を「彫工武志伊八」と刻し、 二十八才以降は「武志伊八郎信由作」と記している。 初代伊八の師匠は、島村丈右門貞亮という人で、 この人は上総の国植野村(現在は勝浦市)の出身と伝えられている。 二十八才頃より「武志伊八郎信由」の銘も この師匠の認証を得て刻するようになったものであろう。 |
| 東京都杉並区堀ノ内、 日蓮宗妙法寺は明和六年(1769)十一月二十六日火災に遭い境内残らず全焼し、 ただちに復興にかかり明和八年(1771)三月二十一日始め、 同九年二月十六日に上棟しているが、 その祖師堂の棟札によると上総・安房の国から大工職人が参加していることが記してある。 大工棟梁は上総国夷隅郡植野村、市東太良兵衛根康でその中に 房州長狭郡打墨村、彫物大工武士と誌されている。 明和八年という年は、初代伊八二十一才の時である。 二十一才ですでに立派な一人前の職人として棟札に名を連ねていたことは、 その非凡な腕を早くから持っていたことを示している。 ↑ ↓ |
| 初代、伊八「信由」は二十一才から七十二才までの五十年余制作活動を続け、 五十代後半からは弟子である森久八と連名の銘が刻まれているものが多い。 五十余年の制作活動において、明確に伊八郎信由の作品は40点余りにおよび、 安房地域は勿論のこと夷隅・長生・君津さらに東京・神奈川までにわたり、 五代の中では一番多くの作品が確認されている。 欄間彫刻は、非常に手間の掛かる作業で、 1個の作品を仕上げるのに1年や2年は普通で、 千田の称念寺のような欄間彫刻は十年も費やして作られたようであり、 この制作費についてもその資料を得ることはなかなか困難である。 |
| 鴨川市粟斗出身の長谷川昴先生(彫刻家日展審査員)によると 「元来彫刻の仕事は非常に体力を必要とする仕事である。 厚さ一尺を越える椋の板に、 すさまじい竜のうねりを刻んだ初代伊八の作品を見るにつけ、 おそらく十代の頃から修行を積み、 二十才では立派な一人前の職人となっていたであろう。 一尺の板を、二尺の厚さに見せる技法、 欄間彫刻という枠を越えない装飾的な役割を果たしている作品での 波の形、人物構図など完璧である。」と評している。 さらに先生は、「伊八にとって江戸時代は、 ある意味で不幸な時代であったといえるかもしれない。 彫工、彫物師としての意欲が余ってしまって、 表現したいものがたくさんあり、 欄間という枠を越え収まりきれないところがみられる。 特に後年の作品には、 そのような傾向が顕著に見られるように思う。」と付け加えている。 ↑ ↓ |
| 伊八は、当時波を彫らせたら業界随一と言われたほどで、 俗に「波の伊八」と称され「関東へ行ったら波を彫るな」と関西の彫物師に言われ、 恐れられていたそうである。 馬上から海に入り、波を横から見て構想を練ったといわれ、 初代伊八信由の彫った「波」を見ればよくわかるように、 この彫刻は馬に乗って海に入らなければ描くことの出来ない構図である。 |
| 参考文献と資料は下記の方々にご協力戴きました。 |
長谷川 治一氏著(波の伊八)・鴨川郷土資料館・ 千葉県文化財実態調査報告書・茂原市役所秘書広報課・ 長生地区観光物産行政推進連絡協議会・ 富山町役場産業観光課・夷隅町郷土資料館・ 天津小湊町商工観光課・ご住職及び檀家様・各神社氏子様 * |
初代 武志 伊八郎信由 武志伊八 【目次】 [初代寺院彫刻]
| 神社(Shrines) * |
| 三島神社「長柄町」 諏訪神社「鴨川市」 熊野神社「和田町」 三柱神社「富津市」 吉保八幡神社 愛宕神社「千倉町」 高皇産霊神社 浅間神社「千倉町」 下立松原神社(千倉町枚田) |
メールで頂いた刻銘拓本画像
本人の希望で場所は特定しませんが、君津地区の山側で近くにダム(貯水湖)がありそうです。
小さな御宮で向拝竜ではナイそうです。
[初代の刻銘]
絵をクリックすると拡大します。
戻る NEXT> 二代以降
[神社建築・各部名称]
| 下立松原神社(南房総市千倉町枚田) 09.02 O氏提供画像 武志伊八郎信由・・・資料 |
||
| [社殿] [大] [厨子蟇股左側] |
厨子木鼻 [右側全体] [右側真向き獅子] [左側全体] [左側真向き獅子] |
厨子持送 [左側竜] [拡大] [右側竜] [拡大] |
| 小脇板 [左側] [右側] |
胴羽目(横から) [左側] [右側] |
脇障子 [左側] [右側] |
| 浅間神社(sengenjinja-s)・千倉町瀬戸1714・礼祭日7/1 浅間神社本殿・拝殿・虹梁・丸彫り・彩色無し・江戸後期・初代伊八 |
|||
| [拝殿] | [拝殿・虹梁・中備] | [波に兎] | [本殿・虹梁・雲に麒麟] |
| 三島神社(mishimajinja-s)・長柄町皿木175・礼祭日10/17 内陣両脇障子・透かし彫り・彩色無し・江戸後期・初代伊八 |
|||
| [厨子の脇障子左] | [厨子の脇障子右] | ||
| 諏訪神社(suwajinja-s)・鴨川市横渚812・礼祭日9/第2土日 寛政元年(1789)三十八歳 本殿・虹梁・丸彫り・刻銘「武志伊八郎信由」・本殿向拝竜は13/09/08に拝見できた。 |
||
| [鳥居] | [本殿] | [妻飾り笈形01] [妻飾り笈形02] |
| [本殿向拝] | [向拝竜左] [向拝竜右] |
[向拝木鼻左] [向拝木鼻右] |
| 熊野神社(kumanojinja-s)・和田町黒岩392・礼祭日8/24 熊野神社拝殿・向拝虹梁・丸彫り・彩色無し・江戸後期・初代伊八 04.03.27 再参拝
|
||||
| [鳥居] [拝殿] [向拝] |
[向拝竜] [拡大] [左から] [裏] [刻銘] |
[懸魚] [木鼻・左] [木鼻・右] [手挟・左] [手挟・右] |
[妻側・左] [蟇股・上] [蟇股・下] |
|
| 三柱神社(mihashirajinja-s)・富津市竹岡4452・ 礼祭日7/9各町に神輿の渡御と山車の巡行あり 三柱神社拝殿・向拝虹梁・丸彫り・彩色無し・江戸後期・初代 |
|||
| [参道] | [資料] | [拝殿・向拝] | [向拝虹梁・火炎に竜] |
| maruchanより |
|||
| [向拝右から] | [向拝竜] [右から拡大] [裏側] |
[左側木鼻貘] | [右側木鼻貘] |
| 吉保八幡神社(kippohachimanjinja-s)・鴨川市仲253・礼祭日9/28・9/27流鏑馬 吉保八幡神社拝殿・向拝虹梁・丸彫り・彩色無し ・二代後藤門治良義政(光利)の義弟・後藤福太郎義道作 初代義光の作風に一番似ている。 本殿は覆屋・「向拝竜」中央・左右「麒麟波」・透かし彫り・江戸後期・初代伊八 |
||||
| [拝殿・向拝竜] | [拝殿木鼻] | [持送左側] | [持送] | |
本殿拝見 03.09.28
祭礼時、流鏑馬の神事あり |
||||
| 本殿 [向拝・正面] [虹梁・中央] [竜・拡大] [向拝・左側] [犀・拡大] [向拝右から] [向拝・右側] [右犀・拡大] |
本殿 [向拝・裏側] [刻銘01] [刻銘02] 暗いので よく撮れていない |
本殿 [木鼻・左] [木鼻・右] [手挟み] |
拝殿・中 (取り外し) [脇障子・右] [脇障子・左] |
|
| 祭礼・長持 初代義光の作は無いが千倉後藤系が多い |
||||
| [待機中] [岩戸開き] [波に武将] |
[浦島・帰り] [竜] [浦島・亀] |
[竜] [竜虎] [波千鳥] |
[亀と竜01] [亀と竜02] |
|
| 愛宕神社(atagojinja-s)・千倉町川合722・礼祭日10/9・安永4年再建 愛宕神社拝殿・茅葺きの歴史のありそうな社で雰囲気のある場所です。 社の支輪は伊八の波が廻っており拝殿の天井絵もよいもののように見えました。 |
||||
| [拝殿] | [資料] | [木鼻・獅子頭] | [天孫降臨の額] | [本殿・腰周りの親子竜] |