社寺彫刻紀行・2002


目次

2002/01/06   2002/01/20  2002/02/07  2002/04/6.7
2002/04/29  2002/09/22  2002/10/06  2002/10/15


2002/10/15(火)

10月13日に勝浦市杉戸地区の祭礼に行って来た。
ここの神社は八幡神社で杉戸の名のように大杉が境内に二本ありました。

ここの氏子さんよりインターネットの掲示板で、
町おこしに協力してくれということで取材に行ったわけです。
昭和天皇の前で演じたといわれる神楽(獅子舞)を拝見、
その後に神輿渡御となり、その後拝殿・本殿と観て歩きました。
拝殿向拝竜の裏に刻銘あり。
当國○○○○  島村光俊

本殿向拝蟇股にも火炎竜があり、支輪が二段に廻っていました。

帰りの途中本納の橘樹神社も祭礼でして、人形万灯山車が三臺ありました。
囃子の種類はそれぞれ系統が違うように感じられました。

山車見学後、神社に向かい拝殿前に三基の大型神輿がありました。
古式の神輿で彫刻はあまりありませんでした。

本殿に廻り妻側の支輪・梁の彫刻を中心に写真を撮りました。
[伊八系・橘樹神社]にUPしました。
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2002/10/06(日)

10月6日は鴨川市西条地区の祭礼ということで出かけましたが、
主基地区は13日になっておりました。

江戸山車が二臺ほど西条地区で拝見、どちらも新造の山車でした。
囃子はへぐり囃子系ですが、少しニュアンスが違っていました。

その後懸案であった鴨川市横渚の熊野神社に参拝し、
初代後藤義光の彫り物を新デジカメに収めました。

熊野神社の隣に神蔵寺があり、二代信常の向拝竜があるが
改めて拝見、とても繊細な彫りで素晴らしいです。
本堂内陣に竜の欄間が二枚あり近くで拝見出来なかったが、
おそらく二代の作と思われる。

近々、二代信常・神蔵寺のところへ追加UPする予定です。
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2002/09/22(日)

9月12.13.14.15日に勝浦の秋祭りが行われていたので13日に行った。
実は先週末にも鴨川の祭りに行く途中に江戸時代の山車彫刻を
拝見しに寄っている。

先週末のことから説明しよう。
勝浦の山車彫刻は嶋村俊表の作というのは以前から情報が入っていた。
しかし祭り当日我々も布佐というところで祭囃子を3日間請け負っているので
勝浦の秋祭りには行くことができません。
一週間前の土曜日なら、もしかして山車の組立をしているかもと
思って寄ってみたら、ドンピシャでした。

遠見岬(とみさき)神社の氏子町会で上・仲・下本町の3町会が所有してます。

上本町の彫刻は嶋村俊表の作で修復追加したのでしょうか、
金子光清の彫刻が1枚ありました。(刻銘・朱刻銘印を確認)

仲本町の彫刻は嶋村俊正の作。

下本町の彫刻は嶋村俊表の作。
でそれぞれ刻銘が有り、出来も素晴らしいです。
唐丸ウェブサイト>[勝浦の山車]にUPしてあります。
http://isweb41.infoseek.co.jp/art/karamaru/

では13日になぜ勝浦の秋祭りに来られたわけは
布佐の祭りの日程を勘違いして一日早く行ってしまい、急遽13日が空いてしまいました。

しかし急いだため、デジカメを持ってくるのを忘れズーム付のカメラで
撮った都合上、現像に出し忘れUPが遅れてしまいました。

[覚翁寺]については、山門・鐘突堂・本堂向拝をUPしました。

もう一つの課題が遠見岬神社の拝殿向拝竜に有る刻銘の解読です。
今回は双眼鏡を持って行きましたので意気揚々と拝殿へ。
しかし墨書きが消えていてまたもや解読不能と嘆いていると
宮司様の奥方でしょうか、来られまして「神社の資料で判明してます」
と言われ、戻って教えて戴きました。

東都 嶋村俊表
門人 道友  印(落款)

もちろん墨書きです。
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2002/04/29(祭)

大網白里町のI氏に会う途中に県神社が在り、また寄ってみました。
今日は天気もよく社殿にも陽が当たって彫刻が良く拝見できました。
何回か来ているがいつも夕方か曇りでヨイ写真は撮れていない。
双眼鏡も持参してじっくりと観察していると、本殿向拝竜の後に刻銘を発見、
しかし角度が悪く解読不可能、残念。
後日今日撮った映像をUPする予定だがよくよく観察すると素晴らしい技の
持ち主であることが分かりました。
大網白里町教育委員会に調べて戴こうとメールを出しました。
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2002/04/6.7(土・日)
那古寺赤地区の山車幕修復完成披露があるというので出かけた。
そこで社寺彫刻師の稲垣氏にお会いしまして、千倉の後藤系について指摘していただき、
初代後藤義光・三代後藤義光について寺院を参拝しながらご教授して戴きました。

私は後藤義光は1代だけと思っていましてとんでもない勘違いでした。
そこで稲垣氏に三代後藤義光作の作品を中心に案内して戴き、特徴を掴むことで判断できると教えられました。
したがって後藤系のページは大幅に改訂が必要となります。

那古寺赤地区の山車彫刻は初代後藤義光作で間違いないそうです。
房総の山車・屋台彫刻は[唐丸ウェッブサイト]に掲載しております。
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2002/02/07(木) 白山神社鳥見「とみ」神社
伊八ではないのですが、印西市方面にイイ彫り物の神社が在るというので出かけていきました。

白山神社は県道沿いにあって、昔から知っていましたが何時かは行こうと思っていたので丁度よかったです。
ひどく傷んでいて、両脇の障子は無くなっていたし、細かい彫刻が欠け落ちていました。
胴羽目の六歌仙の仮名文字は殆ど見えなくなっています。

鳥見神社は探すのに難儀しました。
しかしその価値はありまして、素晴らしい彫刻でした。

拝殿は新築されていて、彫り物はありません。
本殿の玉垣は煉瓦で積んであり、大正二年と資料にありました。
向拝虹梁・蟇股の竜・胴羽目・下欄・登り高欄下・軒虹梁・妻側の力神などと
一通りの彫り物が廻っており、犬のようにグルグル回って観ていても飽きないほど
素晴らしい出来です。

向拝竜に刻銘を発見しまして、双眼鏡で観たのですがどうしても薄暗く
解読することが出来ません。
掲載しました。go
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2002/01/20() 夷隅町郷土資料館(田園の美術館)

あるサイトの管理人さんよりメールがきまして、夷隅町郷土資料館で
伊八の弟子、又八の作品を展示していると。

夷隅町郷土資料館は狩野派発祥の土地柄につき、狩野派の作品を
常時展示しております。
入り口に「幻の彫工 高松又八」の看板が掛かっていた。
伊八の弟子ではありませんで、実は大変な方でした。
夷隅町郷土資料館の特別展観
幻の名工 高松又八郎邦教の欄間彫刻
「 夷隅町行元寺で修理のため取り外した欄間彫刻から、「高松又八邦教」の刻銘が
発見されました。行元寺では、房州の名工「波の伊八」こと武志伊八郎信由の欄間
彫刻が有名ですが高松又八はこの伊八を約一世紀遡る17世紀後半に、徳川幕府の
御用をつとめ、島村圓哲らとともに江戸建築彫刻の黄金期を形成した彫物棟梁です。
しかし、江戸城や将軍家の霊廟など手がけた作品のほとんどは戦災で失われており、
これが初めて確認された在銘の作品です。」
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2002/01/06 () 最初の伊八紀行

4日 牛久の三嶋神社はすぐ見つかった、ナンの勘違いか違う神社のようだ。
出発が遅れたため他に廻ることが出来ず、
もう一つの目的である蕎麦屋に向かった。
君津にある九拾九坊という最近開店した手打ち蕎麦屋で3時15分前に着いた。
ざるそばセットを頼んだが雰囲気と蕎麦の色はよかった。

5日 大多喜の総南博物館が開く日なので大多喜城へとまず行った。
中には久しぶりに入ったが、なかなか景色がよかったです。
眼下に夷隅神社という由緒在る社があることが分かったので
行ってみることにした。
冷たい雨が降ってきたが、とにかく写真は撮らねばならんと車をおりた。
古い社だが彫刻も周りに廻っているし、向拝の彫り物は珍しい構図です。

帰り道に久留里神社・白山神社と廻ってきましたが、伊八系の彫り物は
ありませんでした。

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