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| 情報と紀行 神社建築・各部名称 |
| 最新の情報 04.06.29 徳蔵院(千倉町)・能蔵院(千倉町)に初代伊八初期の作が存在する。 更に周辺の無名社寺にも存在、眼力のある方は是非探索しましょう。拝見UP 館山市山本付近に金泉院あり、後藤三治郎橘恒俊の作。拝見UP 岬町・天神社・拝殿は嶋村光俊、本殿は墨書きから 嶋村源蔵拝見UP 大多喜堀之内・妙光寺に何代か不明だが彫り物が存在するらしい。 情報によると初代ではなく、弟子らしい。 大多喜総南博物館に片岡氏研究の「房州彫物師考 上・下」 頂戴いたしました 大原町 顕妙寺 伊八の作有り (何代か不明)口伝では初代と言われている。拝見UP 大多喜町 妙光寺 伊八の作有り (何代か不明)・拝見UP 独断で三代信美 長慶寺(勝浦) 欄間・初代 拝見UP 弟子の作です。 見性寺(富津市) 欄間・初代 延命寺(木更津市) 初代 徳蔵院(千倉町) 二代後藤義光・後藤門治良義政と後藤義孝。拝見UP予定 熊野神社神輿(岬町) 初代・嶋邑久八郎 行ったことはあるのだが、気が付かなかった社寺彫刻。 川越氷川神社本殿・五代 島村俊規(源蔵) 02.10.19拝見 [宮彫刻]→その他宮彫刻にUP 千葉神社・二代 立川和四郎富昌 現社殿は鉄筋コンクリートにて面影は無し。 隣の天神社に2枚の彫刻がある。 勝浦の祭り・屋台彫刻 八代 島村俊表 02.09.13拝見、[唐丸ウェッブサイト]→上総編にUP 鴨川市の祭りは合同祭で7社の神社が9月の第2土日に行われる。 近郊の祭礼は10月の体育の日に近い日曜日 伊八系・後藤系の屋台彫刻は[唐丸ウェッブサイト]に一部UP。 伊八3.4.5代は欄間、向拝竜の他に御輿、屋台彫刻も手掛けている。 多少の資料があるので、これから祭りシーズンになれば拝見出来るでしょう。 初代 本殿向拝竜・諏訪神社・横渚812番地 祭礼日9月第2土日 拝見UP 本殿厨子・吉保八幡神社・仲253番地 流鏑馬9/28 拝見UP 2代 金蓮院(館山市犬石) 口伝 拝見UP 3代 屋台彫刻・三嶋神社・市原市牛久522番地 礼祭日10/29 神社と山車庫は拝見 4代 屋台彫刻・八幡神社・貝渚801番地 礼祭日9月 拝見しました 白幡神社屋台一部(鴨川市) 拝見しました 天御中主神社(勝浦市) 信明・佐藤喜八拝見 5代 屋台彫刻・八坂神社・広場1482番地 礼祭日 10/10拝見 永明寺(鴨川市)・・・木鼻獅子取り付けホゾに墨書きあり。 伊八系・武志龍三・屋台・江見に二社あり、どちらか不明 礼祭日共に10/26 ↓ 天道神社・江見東真門276−1 日枝神社・江見西真門57 入り口に戻る |
| 04/07/05(月) 7月3日(土)は千倉のまつり初日。 大原町山田の天神社へ嶋村惣吉の刻銘を確認に行く。 この天神社は奥まっているため、発見に手間取りましたが車を降りて探索そして発見。 年代が大正弐年ですから、嶋村光俊初期の作らしいです。 次に近く岬町の天神社へ。 ココの拝殿も嶋村光俊だが、本殿は棟札に天保十年代の嶋村源蔵とある。 本殿は風雨による損傷がひどく、茶色の防腐剤が塗られている。 そして目標の千倉には十二時過ぎに到着。 徳蔵院客殿玄関にある初代伊八作の旧本堂向拝竜を拝見。 ダレが観ても分かる構図と作風で、疑う余地はない。 そして隣の能蔵院へ。 ここは現本堂の木鼻獅子・象鼻が初代伊八作と云われる。 確かに作風は初代伊八と想われ、獅子毛の彫り、口を深くまで彫り、眼の彫りも深い。 そして内陣には享保年間の大作欄間が在った。 彫工名は分からないが、銅板に願主の名が刻字されていた。 千倉の祭は後で観ることにして、先日発見出来なかった館山市国分の金泉院へ行く。 聴いた通りに行くとすぐ分かった。 行ったときは丁度向拝修復落慶法要が終了した後だったので都合が良かった。 京橋の後藤三次郎橘恒俊作で向拝竜は大作です。 木鼻獅子・象鼻・小振りの見返り獅子があり、作風は荒々しく初期の作の様です。 帰りの途中丸山安馬谷の福性院に寄る。 ココの不動堂向拝は初代後藤義光の朱刻銘があるので問題なし。 本堂の向拝蟇股「竜虎」の作者は不明であるが、 何度も観ていると三代伊八信美に想える。 裏に刻銘の場所があるのだが、解読が不可である。 三代信美の特徴は初代に似ているが、獅子頭では初代より眼が出ている。 象鼻が在る場合は真向きの獅子頭より大きい。 これは非常に判りやすく、他は獅子頭と同じか小さいのが普通です。 その後千倉の祭に戻り、大徳家の駐車場に止め、前のスーパーで肴を、隣の酒屋で缶チューハイを買う。 漁港端に在る番やで一人宴会を始めた。 |
| 04/06/21(月) 19日(土)は大型で強い台風が来るというので、その前に南総へ行ってきました。 今回も取り急ぎ決行したため、有料道路を優先で行き鴨川には1時間半で到着。 後藤三治郎の作が館山の再建した寺に在ると言う情報で行きましたが、 情報もとが不在で拝見出来ませんでした。 仕方なく西岬交差点に在る南海刀切神社へ行く。 ココは後藤庄三郎橘忠明以下門人二人の作で拝殿に羽目板の付いた珍しい神社です。 千倉後藤流に胴羽目彫刻は少なく、この忠明がここと数カ所施工しているのみです。 したがって千倉後藤流の中では師匠の次くらいに位置するのではナイでしょうか。 次は二代信常の欄間がある、犬石の金蓮院へ行った。 ここもご住職は不在でお賽銭をあげて参拝、でお帰りかと想ったのですが、 本堂が開いていました。 早速オジャマして、一間半ほどの欄間(波に親子竜)を激写 ! 波と竜の顔・鱗に二代信常の特徴がハッキリと観られます。 次は少し離れた千倉の徳蔵院へ行きましたがネットの地図では探せず難儀しました。 諦めて帰ろうとしたらナント目の前に看板がありまして、無事拝見出来ました。 山門に付いてる玉取竜は二代義光・後藤門治良義政作でこの徳蔵院にしか作は発見されていない。 本堂向拝の作は新しく、後藤義孝作・八十五才とあり昭和四十年です。 これで帰ったら伊八紀行になりませんので、帰りの途中に千田の称念寺に寄った。 ココも何度となく参拝しているが、本堂廻りは綺麗に修復されました。 本堂の日本一の竜も外から拝見出来るし、望遠機能のあるカメラでしたら写真も撮れます。 今回は光学6倍ズームで激写 ! 画像を更新しました。 実はココの山門と本堂向拝廻りの彫刻は二代無関圓鉄門人嶋村延実(甚八)の作です。 古い嶋村流の彫物の特徴を知ることが出来ます。 南総紀行の楽しみは地魚の刺身と干物もあります。 今回も当然、行き付けの鴨川市太海の寿司屋へ寄り、地魚を食し近くの魚屋で干物をゲット。 24日(木)の予約も済ませてきました。 |
| 04/05/30(日) 嶋村本流十代嶋村俊明作の欄間彫刻を拝見するために両国の回向院に参拝。 しかし、本堂他総てが戦災で焼失、欄間は存在しないと言われた。 新しい本堂内に十数体の小さな仏像が壁に掛けられていたが、 作者は不明である。 次に杉並区堀ノ内の妙法寺に参拝。 仁王門の彫刻は伊八の師匠・嶋村丈右衛門貞亮で、嶋村本流の特徴が観られる。 本堂(祖師堂)は初代伊八二十歳の作、すでに名人の片鱗が観られます。 向拝の五竜はもちろんですが、堂回りの彫物に例の波彫刻が付いているが、 すでにその特徴が観られる。 堂内は撮影禁止なので拝見だけです、 中に上がって内陣には欄間三枚(彩色)と波に鯉の支輪が金箔押しで廻っています。 総てが基本を忠実に彫られており相当の実力を感じさせます。 弱冠二十歳の伊八に本堂の彫刻を任せる師匠の貞亮は 伊八の実力を見抜いていたと想われます。 手水舎は木材があまり風化していないので作は新しいと想われる。 刻銘がないので彫工は不明です、伊八系の作なら、四代信明でしょう。 午後からは南品川の荏原神社が祭礼なので行くことにしました。 この荏原神社は二度目の参拝、拝殿に素晴らしい彫刻が付いています。 神社のホームページがあり、以前に参拝した折り彫工の質問をしましたが返信はきません。 品川区の神社資料にも彫工名は無く、とても残念です。 商店街の中頃に海雲寺(荒神様)があり境内右に鐘楼があります。 この鐘楼は四本の柱に脇障子が各二枚ずつ八枚付いており、 そこには仏教説話の一部が彫られていました。 次に本堂に行って向拝を拝見、またドキッと胸が高鳴りました。 構図・作風が後藤三治郎恒俊なのです。 いつもなら在るはずの刻銘が見あたりませんが恒俊に相違ないと想います。 頭貫の作風は鐘楼と似ているので、同じ作者と想像します。 鐘楼の脇障子には刻銘があるはずですから、確認したかったのですが 鐘楼には上がれませんでした。 今回も新しい発見があり、収穫がありました。 |
| 04/04/03(土) 四月四日の花見に備えて勝浦漁港へカツオを仕入れ、ついでに伊八紀行となりました。 妙覚寺・妙厳寺・不明神社・長慶寺・本行寺・小湊神社・花蔵院・鏡忍寺と廻ってきまして、 新しい発見と確認ができました。 妙覚寺の「向拝竜」と左右の「波に竜馬」は私が勝手に初代と言っておりましたが訂正します。 三代伊八・信美作です。 三代は波の彫り方が初代に酷似しており、私は度々間違えます。 そこで初代と三代の竜・獅子の目に相違点を発見、見分けがつくようになりました。 この後訪れる、妙厳寺・花蔵院の構図・作風とよく似ています。 妙厳寺の刻銘は以前手ブレで刻銘が見えませんでしたが、3脚使用でなんとか撮れました。 妙覚寺本堂内陣の三枚欄間は作者不明、作風は伊八系ではないらしい、 裏をフラッシュで撮りましたところが、墨書きは確認できませんでした。 長慶寺に向かう途中、遠回りしてしまいましたが、植野辺りで未見の神社発見 ! 神社の名前がどこにもナイので名前不明神社とします。 拝殿の向拝竜は大原の嶋村光俊・本殿の向拝彫刻は後藤傳吉郎住兼でとても上手です。 この後藤傳吉郎住兼は房州住、上総で最近よく見かけます。 長慶寺は丁度法要が行われていて欄間正面の写真は撮れませんでしたが、 遠目で観た限りでは初代伊八の作ではありませんね、やはり門人の作と想われます。 そして勝浦漁港に到着、いつもの水産店へ行くとカツオがナイ ! (T.T) 聞くと花見などで引き合いが多く価格が高騰、仕入れなかったようです。 ふてくされていると、バチマグロが一匹(17Kg)有るというので1/4雌節を\2,500.-で購入。 イチオウ面目は立ちましたが、自分で刺身に卸すシカありません。(腕が鳴る)(*^_^*) 勝浦下本町の本行寺に寄ってみた、ここも以前は来ているのだが 向拝竜裏の刻銘がよく見えない。 デジカメを光学6倍ズームにしたから3脚で撮る、バッチリ撮れた。 なんと最近よく見る後藤傳吉郎住兼ではあ〜りませんか。 その後、鴨川方面に向かうが、 昼はとうに過ぎ、腹が減ったので「たえむ」というよく寄る手打ち蕎麦屋で昼食。 また予定外の寄り道。 小湊神社は全く久しぶり、駐車場管理のおばさんのセコイ料金徴収にムカつきました。(-.-#) 小湊神社は刻銘が見あたらないので伊八二か三代と私が勝手に決めております。 花蔵院は三代信美作で問題なし、書院に後藤義光の彫刻が在ったのでもしかしたら、 の不安は解消されました。 以前訪れたのは4.5月だったのでしょうか、藤棚の藤が満開だったのが印象にあります。 鏡忍寺は初代・二代・四代・五代と拝見後、先祖代々の墓に詣でてきました。 しか〜し、カツオが買えないのでまた勝浦に戻り、 泊まるつもりなので「さかな処 さわ」で飲み始めてしまいました。 このお店は何時来ても忙しいんですー、な〜んデカ・・・。 |
| 04/02/11(祭) 今回は伊八の師匠・嶋村丈右衛門貞亮の故郷を中心に徘徊してきました。 |
| 04/01/24(土) 波の伊八掲示板の過去ログを見て、 大原には嶋村系の彫刻があることを思い出したら居ても立ってもいられなく出発しました。 茂原はいつも混んでいるので、手前の本納から海岸方向へ入り、一宮を経由して大原へ。 目標は岩船の八幡神社、嶋村光俊ですがどう間違ったのか八幡岬の城山・八幡神社に着いてしまいました。 小高い丘の城跡頂上に社殿があり、大原の町並みと漁港が一望できる風光明媚な場所です。 本殿は覆屋で拝見できませんが、拝殿向拝は古そうだがなんか見覚えのある彫物です。 とりあえずカメラに収めて、刻銘は在るか探すのが私のやりかたです。 木鼻獅子左に橘恒俊・右に東都彫工・後藤三治郎の朱刻銘発見、 上町山車彫刻と同一人物です、鳥居は天保九年製。 次に目指すは岩船なのだが、途中に瀧内神社を発見、即拝見。 本殿・幣殿・拝殿、とても立派な社殿で現社殿は古くなさそうだ。 拝殿の彫刻は後藤系ではなさそう、構図・作風は後で出てくる岩船の嶋村光俊か。刻銘は発見デキズ。 またその途中、矢指戸に飯縄神社があり、向拝・幣殿の欄間二枚、収穫。 刻銘は発見できないが上手である。 四時頃やっと岩船の八幡神社へ到着、ここも立派な社殿です。 本殿・幣殿・拝殿とあり、拝殿の向拝中備は波に亀という珍しい構図。 彫工は嶋村光俊だが刻銘を探す、拝殿頭貫左に昭和四年彫工 嶋村光俊発見。 大きい社の近くに寺院は付き物で、道路反対側に榮寿山あり寺名は未確認。 最近の作であろう仁王門・大原の池田工務店によるものでした。 正面に大きな本堂・右に七面堂・左に鐘楼、共に向拝に古そうな彫刻がありました。 鐘楼の木鼻獅子は嶋村系の構図だ、おそらく光俊だろうが刻銘は発見できない。 さて、帰ろうと国道を御宿方面へ左折、少し走ったら左に神社発見、小沢宮ノ台の諏訪神社だった。 もう薄暗いので次回にしようと想いながら拝殿を観ると良さそうな向拝である。 フラッシュを使うので電池を交換、一通りカメラに収めるが暗くて刻銘探査は困難を極める。 拝殿向拝竜裏を観ると刻銘が在りそうな四角い部分に焦点を合わせバチリ。 デジカメ画像を確認したら、光俊次の代 嶋村光晴作 二十七才でした。 今回感じたこと、大原漁港は外房では最大級です、漁師町はいつも景気が良かったのだなあと思いました。 |
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04/01/3.4(土・日) |
社寺彫刻紀行・平成15年版
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03/12/30(火) |
| 03/12/06(土) 何ヶ月ぶりでしょう、ご無沙汰してしまいました。 今年は年初から笠間の後藤縫之助・嶋村本流嶋村俊表を追いかけていましたから(^^ゞ 12/04に第16回(通算40回)木彫工芸展・協同組合江戸木彫刻を見学後、葛飾柴又帝釈天へ 久しぶりに参拝してまいりました。 ここの帝釈天堂は総ガラス張りの建物で囲われており、お堂が彫刻ギャラリーとなっております。 内陣は当然拝観出来ませんが胴羽目・屋根下廻り・回廊下廻りの彫刻をすぐ近くで見学出来ます。 この帝釈天堂の彫刻は10枚の胴羽目を除いた総てが4代伊八郎信明・高石仙蔵作です。 胴羽目彫刻はコンクールで公募、それにも信明は1等に入選し、彫刻に取り掛かる寸前に 重い病で明治41年・47歳という若さで急死しました。 胴羽目上部の彫刻は「雲に天女」支輪は「波」、胴羽目下段は「千羽鶴の図」 回廊下廻りの彫刻は上段に「四季の花鳥図」、下段は「波に亀図」、持ち送りの貫は三方向「波に火炎竜」 どれも素晴らしい出来映えです。 仮に胴羽目下絵の「松に千匹猿遊図」が完成していたらと想うとゾッとします。 胴羽目は仏教説話10枚を絵師に描いて貰い、東京住の彫刻師10人が大正4年に完成させました。 当時の名人クラスの作品ですから、どれも素晴らしい出来映えです。 4代信明は横浜の加藤勘造氏に呼ばれ、最初は加藤氏の弟子・園田正直氏と奥の仕事をしていた。 最近発見したのだが、 4代信明は柴又帝釈天へ行く前は取手市八坂神社・本殿改築(明治36年完成)に従事していた。 登り高欄下・回廊下廻りの羽目板彫刻・頭貫獅子頭にその作風が観られる。 帝釈天堂回廊下廻り「波に亀図」彫刻が同じ構図です。 興味のある方は是非訪れてみて下さい。 [取手市・八坂神社] [最新の帝釈天画像]・・・どちらも江戸彫工サイト |
| 03/03/30(日) 以前に當間さんに教えて頂いた伊八の彫物の在る場所、 |
| 03/03/29(土) 午後から晴れるという天気予報を信じて、第2回の谷中寺院に出没です。 |
| 03/03/09(日) 午前中はよい天気だったが、少し風もあった。 最近は東総地区に行っていないので、昨日はそちらを廻った。 最初は山田町府馬の愛宕神社・年代は寛政5年、彫工は香取郡の彫刻師集団。 8人くらいで仕事をしたようだ。 玉垣の欄間彫刻は二十四考が題材で、「彫工は古内村 鈴木左右衛門景賢」で 安政3年になっている。 裏参道の途中に安産大神が在ったので寄ってみると、これが素晴らしい彫刻でした。 刻銘は「古内村 鈴木多聞豊賢」嘉永3年の作、以上は同じ一派のようだ。 次に寄ったのが山倉大神、境内にある杉巨木の枝打ちをクレーンでやっていた。 ここの彫工は嶋村俊表で上総柴山とあるので、房州に長い間居たことが伺える。 拝殿・本殿とあるが、本殿の玉垣欄間は二十四考らしいのだが、 殆どが盗難にあっており、かろうじて刻銘の入った一枚が残るのみである。 そして埼玉の野本義明の額があるはずの松崎神社へ。 ここでは祭りだったのか、出店が1店でていた。 野本の額はなく、他にも松崎神社があるのか。 その後帰る途中に、観福寺という立派な霊場があり道場の向拝は嶋村系の彫刻のようだ。 本堂は石段の上にあり、とても立派な建物で、棟梁は地元の大工だ。 彫刻は本堂木鼻右の裏に「出雲 彫工 成明」とあった。 やはり江戸彫工と違って、獅子頭の構図がグロテスクだ。 初めての場所なのだが以外とすんなり回れたので、5時前に家についた。 [宮彫刻]の東総編にUP |
| 2003/03/02(日) 強風 午前中は曇天で風も強かったのだが、天気予報では午後から回復と言っていたので野田方面へ。 前回の取手・八坂神社には疑問点が沢山あり、気になっている寺田松五郎の作風を研究するため 野田市三ツ堀にある香取神社参拝がメインである。 行く途中手前に有名な愛宕神社があるので、そちらからお先に。 こちらから行くと交差点右側にあり、向かい側は甲子醤油である。 この甲子醤油はキッコーマンよりも歴史があり、以前は野田最大の醤油メーカーでした。 キッコーマンは中小の蔵が寄せ集まって会社にしてうまくいった例です。 この愛宕様の彫刻は数が多くて圧倒されます。 彫工は上州勢多郡花輪住 石原三郎主信 嘉永6年の作となっています。 素晴らしい出来映え、しかも数が多くて説明が出来ません。 平らな部分が殆ど無く、手当たり次第隙間無く彫刻が施工されております。 これこそ「百聞は一見にしかず」です。 午後からネットより収集した地図を頼りに香取神社へと向かう。 神社の杜は巨木が何本か必ずあるので、発見は以外と容易い。 着いてみると境内に小さな神輿が置いてあり、聞いてみると祭りなのだそうだ。 拝殿の向拝左右の木鼻が抜けて無いが、向拝竜は幸運にも「親子竜」だった。 後に廻ってみるとバッチリ刻銘が入っている。 彫工 常州筑波郡狸渕住人 後藤松五郎正國作之 後の本殿は覆屋になっているが格子の間から胴羽目の彫物は撮影出来ました。 拝殿向拝竜の作風を目に焼き付け、一路取手へと向かうのでした。 野田から取手は近いです、6号に乗れば利根川を渡ってすぐ取手駅入り口。 競輪が開催されており前を通るのですが、ギャンブルもダメですね、道は空いていました。 取手駅入り口を左に曲がって縫之助の作が有る、白山神社へ行きました。 ココも本殿が家(拝殿)の中にあり、外から拝見画像は撮れませんでした。 すぐ諦めて八坂神社へ直行。 推理を裏付ける新発見がありました。 拝殿は香取神社と同じ構図です、八坂神社拝殿の彫刻は狸渕の後藤一派に相違なしの確証を得た。 本殿改築には三人の彫工が従事していますが、縫之助の次男保之助が請け負いです。 私の記録には後藤縫之助親子と寺田・伊八の接点が無いのに 何故この二人に依頼したのかが、疑問なのです。 前出にあるように拝殿の彫刻は狸渕の彫工グループとすれば、寺田はその後継です。 では伊八はと言えば本殿しかありません。 本殿は跡形もなく改築されたので、 証拠はないのですが唯一本殿懸魚が初代伊八の作風を匂わせているのです。 また本殿彫刻は左側を保之助、右側を寺田ということが私の独断で判りました。 四代伊八は欄干下廻りは確実、胴羽目上廻りも遣っている可能性アリです。 詳しくは[宮彫刻]のその他の宮彫刻にUP |
| 2003/02/20(日) 今回も笠間と同じ茨城県です、でもすぐ隣の取手市ですから近いです。 八坂神社で祭りが8月1.2.3日でしょうか、とにかく暑い時期です。 彫刻は後藤縫之助・次男保之助の作と神社資料に書いてあります。 拝殿は天保3年に完成、本殿は明治36年に改築とあります。 後藤縫之助は明治33年に亡くなっているので、本殿の改築は保之助ということです。 拝殿向拝中備はさすがすばらしい出来映えです。 本殿の懸魚と向拝柱は父縫之助の作を使用しているようで、 登り降り竜の作風と柱の地紋の彫りは古く感じる。 本殿廻りの彫刻は保之助作となりますが、緻密な彫刻で覆屋となっているので きれいに保存されています。[八坂神社・取手] その後気になっていた利根町役場隣にある緑青の葺いた古そうな寺に寄りました。 徳満寺という真言宗豊山派の寺院で、本堂・地蔵堂がありました。 向拝の彫物はそれぞれ古い時代を感じさせ、地蔵堂の彫刻は江戸中・後期だと思う。 この彫刻も[宮彫刻]、その他社寺にあります。 こちら方面にくれば必ず行く「手打ちそばの斉藤」で腹ごしらえ。 その後印西市大森にある「鳥見神社」へまた寄る。 鳥見神社(大森)は何回も参拝しているが、始めていったときに本殿向拝竜の裏に刻銘を発見。 双眼鏡でも暗くて読めないため、市教育委員会へメールしました。 刻銘は後藤縫之助でした。 胴羽目は義経記でよい出来ですが、左右の脇障子が盗まれています。 縁下羽目獅子は6枚ありますが、構図は笠間稲荷本殿の物と似ています。 帰り道に印旛村鎌苅の「宗像神社」に参拝。 ここの彫刻師は不明なのだが、相当の技の持ち主と思われる。 印旛村には宗像神社が9社くらいあり、岩戸の宗像神社胴羽目は特に素晴らしい。 しかしここも作者が不明ですが[宮彫刻]の北総編にUPしてあります。 |
| 2003/01/19(日) 伊八紀行の改訂版になった、理由は在る程度伊八は参拝したので関連の社寺もということ。 やはり後藤系と嶋村系になりますが。 今年初めての茨城県方面ツアー。 きっかけは那珂湊市場のイベントを見て魚でも食べて、近くへ一泊して翌日は 笠間稲荷へ初詣としゃれ込む予定でした。 その途中にbuntenさんの所に荷物を届ければ、経費の節約にもなるハズでした。 しかし、イベントは夜の7時30分からというので時間調整、 まず高速を降りてから、鹿嶋神宮へ参拝「建御雷之男神」にご挨拶。 水戸に着いてからジャスコ下市店の100円ショップにて、また時間調整。 その後、ホテルの地下駐車場に車を入れbuntenさんと待ち合わせ。 清櫻会の人たちと那珂湊まで同行、 向こうで笛を吹いてしまいbuntenさん共々お世話になってしまいました。 清櫻会のみなさんは、buntenさんの掲示板にカキコミしている人が多く、 その日の夜はOFF会になってしまい、 パンチョさんのお店で12時まで飲んでしまいました。 日本酒をマダケの筒に入れ、クラッシュアイスで冷やすというσ(^^)好みの 趣向で気に入りました、どうもご馳走様でした。(*^_^*) 清櫻会の方達は邦声堂の附けで若山流の江戸祭囃子を今年の祭りまでに 「ひとっぱやし」を完成させると意気込んでおり、とても熱心です。 19日の午前中はbuntenさん宅にてお囃子談義、その後笠間に出発しました。 笠間には40分くらいで到着、軽で行った強み細い道もなんのその、 笠間稲荷本殿の裏側に駐車できました。 今回は光学6倍のデジカメですから、向拝・胴羽目・その他のお堂の 画像は期待できると思います。 また、おもしろい刻銘も発見しまして、とても実り多い茨城紀行でした。 |
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